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東禅寺

嘗ての遠野の繁栄を語るなら、東禅寺は外せない。
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「桑原」のバス停。先に向かうには、自力でしかない。自転車とかクルマとか・・・
綾織の新里辺りから、この桑原・坂ノ下で終わる道は、現在からは想像も出来ないような人の行き来があった道らしい。
でも、今は最も交通量が少ない道の一つに入るかも知れません。

それだけに、「なんでこんな淋しい所に・・・・」と、奥州随一(だよね?)の寺院の面影を偲ばせるものを探すのは難しい。だからこそ尚更想像力を働かせてみる面白さがあります。
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遠野物語にも関係する話が幾つかあるし、郷土(岩手)の歴史関係の書物にはしばしば掲載されています。

『東禅寺は、無尽和尚の開基になる寺院であったと伝えられる。その時期については諸説あるが、建武年間(1334~36年)頃と推定される。15世紀中頃の著作とされる、【和漢禅刹次第】によれば、陸奥・出羽両国内の禅宗寺院の筆頭に記されており、この頃から既に名刹であった事が分かる・・・・しかし、慶長年間(1596~1615年)頃に兵火のため全焼し、廃寺となったらしい・・・・・』

しかし、その肝心の寺院跡がなかなか分かりにくい。

「右手の杉林の中に阿曽沼氏と共に大槌氏討伐を企画し、大槌城を攻めて戦死した三戸南部氏13代南部守行の墓と殉死の侍の墓石があり、更に進むと、道の左側に無尽堂が見えてくる」
(これは、バス停「桑原」から降りてから向かう説明となっているようです)

と、ガイドブックにありますが、実は何度か道をゆっくり走ってみても未だに無尽堂に行き当たっていません・・・・
無尽和尚の墓や、開慶水などは一度目の訪問で分かったのですが・・・・・

この時は、無尽堂に焦点を絞って行った筈でした。
最初は見落としたものを幾つか見ることが出来、雨も降って来て益々いいムードに。

しかし、この後で驚くような出来事がありました。
by tamachi69 | 2005-09-15 16:29 | これぞ遠野
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