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「残そう」ということ、「残す」ということ

それでなくても、遠野は神社仏閣が多い。
地図には、神社マークのみで社名が載っていないものをよく見受けるし、神社マークさえも載らない社は無数にある。
それが、意外と古かったり地域の始まりを示すものだったり、或いは今では名だたる社の前身であったりする。
他のものを目的に探し回っている時に、「それらしきもの」を偶々発見することもある。

最近、遠野の伝承・伝統芸能・神社仏閣に関して時々参考にさせていただいているサイト、「遠野なんだりかんだり」にて
思い出させられたことがあった。

遠野路を走っていると、たまに小さくても新しい社が目に入る時がある。
新たに造られたものではなく、以前からあったものを改修復したものであったりする。

青笹町、中沢付近。
基部辺りが真新しい。
老朽化して傷んでいた部分を直したのであろう。
まだ修復途中のようにも見える。
「残そう」ということ、「残す」ということ_d0001843_21493893.jpg

直すには「おあし」が必要である。
地元の有志か或いは寄付を募ってここに至った筈だ。

この近くでも真新しい小さな社を目にしていたが、新し過ぎると思い画像には残していない。
どうも、古い社でないと歴史を感じないという妙な思い込みがあるようだ。
でも、先日思いがけない所で「それ」を目にし、「もしや」と思い出した。
地図でよくよく位置関係を確認したら、自分が目にしたものと「こちら」のものとでは方向が違っていたことにも気付いたが、
この土地の「信仰に係わるものを残す」という考えを垣間見る結果となった。


この近く。
「残そう」ということ、「残す」ということ_d0001843_21495732.jpg


地域に伝わる文化財や伝承を「残したい」と願うことは誰もが漠然と思うコトではあるが、
実際「残す」に至るまでの道程は短いものではない。
その心意気がある地域は、確実に「残せる」のであろう。

気持ちの上で「~しよう」と思っている状態と、実際に行動に移して「~した」という結果。
・・・・・・・・・この差は大きい。
by tamachi69 | 2007-01-29 09:29 | 発見
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