「ほっ」と。キャンペーン

東禅寺跡を訪ねる

あっつぅ~い昨日だったので、ひんやり(するかな?)画像をば。


人があまり来ない(であろう)山中にひっそりと水を湛える沼が二つ。
d0001843_9383421.jpg

此方は既に見つけていたのだが・・・・もう一つ↑あったのは新たな発見だった。ちょっと離れているけどね。
どちらの沼もごく浅い水深のようだ。
一昨年に比べて湿地化が進んでいるように見えた。
d0001843_940349.jpg


昨年の春先に漸く発見し、秋にも訪れていたのだが何故か掲載が延び延びになっていた。
夏の画像と共に改めて紹介しようと思う。


綾織・新里から附馬牛・坂ノ下に至る道は、嘗て最も栄えた街道の一つだったという。
(国道283号線から入り、石上神社石上山登山口を経る)
今では、車の通行量が少ない寂しい道となってしまったが、結構見所がある「通」向きの道かもしれない・・・・・・
その道を綾織から入って附馬牛方面に向かい、行程が半分以上過ぎた辺りには嘗ての大寺院跡がある。
それが、


【東禅寺】

無尽和尚による開基。建武年間(1334~36)頃と推定。
「和漢禅刹次第」なる書物に依ば、陸奥・出羽両国内の禅宗寺院の筆頭に記されていたという。
慶長年間(1598~1615)に、戦火により全焼した為廃寺になった。
現在でも盛岡市にある東禅寺は、それを中興したものと言われている。
此処は昭和33~34年に、岩手大学の教授によって発掘調査がなされたらしい。
その結果、総門・山門・仏殿・法堂が東西に並び、山門の両側に東司と西浄、仏殿の西側に僧堂、庫裏、
法堂の左右に鼓楼、更に南側に塔頭の常福院があり、西に無尽和尚の墓、北に開慶水があったことが分かった。
今は、道路に寸断されてそれらの跡地や墓所・泉が点在している。
その一帯が一つの寺院だったのなら、かなり広大な面積を有していたのだろう。


・・・・うへ。
異常に長い前フリ。


草深い山中に遺されていたもの。
なるほど、これでは見つけ出せなかった筈だ~
d0001843_948182.jpg

車窓からでは目に留まらなくて当然といえる。
春先、葉が出ていない時期に発見して入り口を確認したからこそ夏に再訪できた。
d0001843_11495298.jpg

草叢を掻き分けて少々歩くとほどなく表示が。
↓こんな説明が書かれています。
d0001843_19414932.jpg

d0001843_949243.jpg

お堂。
「無尽堂」と呼ばれるのは、これのことであろう。
傍の木は、秋には紅葉してちょっといい雰囲気に。いずれ、その様子もお伝え致します。
d0001843_95055.jpg

東禅寺跡といえば、「来迎石」

来迎石には、こんな話が残っている。

昔無尽和尚が東禅寺の伽藍を建立しようとした時、境内に清い泉を欲しいと思い、大きな丸
形の石に登ってはるかに早池峰の神様に祈願した。
ある夜美しい女神が白馬に乗ってこの石上に現われ給い、無尽に霊泉を与えることを諾して
消え失せた。
一説には和尚、その女神の姿を描いておこうと思い、馬の耳を描き始めた時には既にその姿
は消え失せてそこになかったともいう。
来迎石と呼んでいるのはこの石のことであるが、また別にこの来迎石は、早池峰の女神が
無尽和尚の高徳に感じ、この石の上に立たれて和尚の経誦に聞き入った処だとも伝えられ
ている。
女神から授けられた泉は、奴の井とも開慶水とも言い、今に湧き澄んでおり、この泉に人影
がさせば大雨があると伝えられ、井戸のかたわらに長柄の杓を立てておくのはそのためだ
という。
(「遠野物語 拾遺四十」)


d0001843_950485.jpg

嘗て広大な敷地の中に幾つもの建物があったという。
薄暗い森の中に立つ白い標柱は、伽藍や鐘楼堂があったことを示すものなり。
d0001843_9524140.jpg

ここから少し離れた場所には「方丈跡」がある。

それにしても、夏草茫々の時期に此処を訪れるのは今後は遠慮した方がよさそうだ。
嘗ての大寺院跡は、今は獣の領分と化している。




 
d0001843_10162546.jpg

「南部守行」については「こちらさん」にてキチンと掲載されています。
[PR]
by tamachi69 | 2007-06-29 00:02 | 伝説の地
<< 名所の裏に回ってみる 赤い屋根と緑の田んぼ >>