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遠野郷、不思議の里の四神相応

“八萬人目様”御礼記念エントリ~

只今(6:23)見たところ、ジャスト80,000名様となっていました。
早起きさんがいるようです。
私の直前にいらした方はどなたでしょうか・・・・・?
・・・・・・・アレ、まさかワタクシ?? 管理者は数には入らない筈・・・・


今回は、以前に増してマニアックな内容となるので、関心がある方・お時間がある方はどうぞ
お付き合いくださいませ!
そうでない方は画像だけでも(笑)。


以前、「仮説」に過ぎない遠野の要所(山や神社)を結ぶレイラインについて思った侭に書いた
ことがあった。
その時は触れなかったが、もう一つ遠野の地形について不思議に思っていることがある。
それは、

『四神相応』。


ちょっと前に、「風水」という言葉がやたら流行ったが、流行モノに鈍感な私はあまり・・・知らない。

「風水では、大地における気の流れを重視し、龍脈からの気の流れが阻害されておらず運ば
れてきた気が溜まり場になっているような土地に都市や住宅を建造しなければならないとする。
そうすることによって、その地方や一家に優秀な人材が輩出され、冨にも恵まれると考えた。
陰宅すなわち墳墓も同様であり、祖先がいる場所が子孫に影響を与えるとし、土地がよければ
子孫は繁栄し、悪ければ没落すると考えられている」


これが風水の考え方。
部屋の○側に○○を置くと金運があがるとか、○○を身に着けて○の方角に行けば良縁に
出会えるとか、家を建てる為の土地を求めるなら東側に水の流れがあるとよい・・・・などと
いったものらしい。
その辺は詳しくは知らないが、世間の風潮とは別に風水によって造られた都市の話は関心が
あった。
よく知られているところで、京都がそうである。

今から約1,200年前、平安京造営の折にはこの「四神相応」による都市づくりが採用された
と言われている。
(しかし、これを当てはめたのは江戸時代頃と言われているので、その説には異論があり断定する
ことは出来ないのも確か
ではあります)
が、この思想に基づいて造られているのではないかと思われる地と、主要な都市の地形を見
てみれば、このような様相を呈している地が幾つもあることから、やはり・・・という思いはあり
ます。


ご存知ない方もいらっしゃるかも知れないので、簡単に説明させて頂きますと・・・・


古来、中国や朝鮮、そして、日本において天の四方の方角(東西南北)を司る「四神」の存在
に最も相応しいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことを「四神相応」という。
中国や朝鮮での風水における四神相応は、背後に山、前方に海か湖沼或いは河川の水
(すい)が配置されている
背山臨水の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むこと
で蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。
この場合の四神は、背後の山が玄武前方の水が朱雀、玄武を背にして右側
の砂が青龍
左側が白虎である。


四神とは;

中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司ると伝統的に信じられてきた神獣のことをいう
(四獣)。
これは周天を4分割した四象に由来する。
四神それぞれが司る方角に応じて春夏秋冬も象徴している。

東・春(4~6月):青龍(せいりゅう)
南・夏:朱雀(7~9月)(すざく)
西・秋(10~12月):白虎(びゃっこ)
北・冬(1~3月):玄武(げんぶ)


どんな地形が該当するかというと、

東-青龍(流水) 
南-朱雀(窪地・湖沼)
西-白虎(大道)
北-玄武(丘陵)


で、これを平安京に当てはめると、

青竜: 鴨川
朱雀:巨椋池
白虎:山陰道
玄武:船岡山

 ※鬼門:比叡山延暦寺
  裏鬼門:城南宮・石清水八幡宮

・・・・・となる。
なお、鬼門は日本固有の考え方で、中国や朝鮮の都市には設けられていないらしい。
以下の地図でイメージしてみてください・・・・・・・

                    京都の地図
遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_22132041.gif


千本丸太町界隈。
遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_2230383.gif


京都、北の玄武(船岡山~大文字山という説もある)より流れ出る「気」は、「龍脈」と呼ばれる
青竜と白虎を伝わり、朱雀へと抜ける。
「気」を逃さないために、朱雀の辺りには「東寺」と「西寺」が建てられた。

その中で、気が湧き出る地点を「龍穴」といい、重要な場所はここに置かれた。
三本丸太町通りが最も気が集まる所だと、現代の風水師も語っているのを聞いたことがある。
その丸太町交差点から僅かに北に向かった場所には「大極殿」の跡地がある。
数年前、わざわざ見に行く程嵌った場所ではあった。
バスで二条城まで行き、暫し散策した後に徒歩で付近を巡ってみた。
玄武に当たる「船岡山」は、ほどなく行き当たった。見知らぬ地だったのに迷わなかったことが
今でも不思議・・・・
そこから千本丸太通りを南下し、途中「大極殿跡地」から「気の噴出し口」と言われる丸太町
交差点へ至る。
交通量が多く賑やかな場所。交差点南西に立つお菓子屋さんで買い物をしていったのをよく
憶えている。
歩いていて妙に興奮した記憶が懐かしい。帰りは二条烏丸駅から京都駅前に戻った。
とても楽しい散策だったことは、そんな地の影響もあったのだろうか。


ちょいと脱線してしまいました・・・・・
平安京の政治が執り行われていた「大極殿」は、正に龍穴の上に築かれ、隣には「神泉苑」
という広大な溜池があったとされる。
この溜池は、「龍」が水を飲む重要な場所とされていた。
今の「神泉苑」は、二条城の傍にひっそりと当時より遥かに小さな規模で残されている。

京都が千年以上に渡って今も栄えているのは、この四神相応が活きているからとも言われて
いるが・・・



さて、異常に長ぁ~い前フリの後で、遠野に戻る

遠野の地形も上記の条件を満たしている土地柄ではないかと思ったのは、京都との共通点が
感じられたからだった。


東-青龍(流水)  --> 猿ヶ石川
遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_23184731.jpg


そして、東の「沙」に当たる山々は高いところから見るとこんな感じ。(奥の方)
遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_22152398.jpg


西-白虎(大道) --> 白森山から石上山
(程よい画像がないので代表で石上山を貼りました)
遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_21401954.jpg



南-朱雀(窪地・湖沼)  --> 物見山と六角牛山の間の窪地
山の間を抜ける道。
ここは遠野の南側、九重沢辺り。物見山と六角牛山の間。

遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_22142539.jpg


北-玄武(丘陵)  --> 早池峰・前薬師

遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_22154872.jpg


どうだろう、自然に浮かび上がってはこないだろうか。
北の玄武から発する気が、東と西の山々を流れ、朱雀へと抜ける。
そして、盆地を貫く川~水が流れ、風の通り道がある澱みのない所。
また、遠野三山と呼ばれるそれぞれの山は、気の流れの要所に配され、ここが四神相応の地
として理に適っているのではないかと思うのは私だけだろうか。
龍穴に該当する地は何処かは分からないが、必ずあるのではないか。


         遠野郷の気の流れを示す四神相応之図(想図)。
遠野郷、不思議の里の四神相応_d0001843_19511857.gif



正に、千年都市京都と似たような地形となっているなんていうのは考えすぎだろうか。
早池峰への道は1,200年程前に開かれている。
風と水に恵まれた肥沃な地であり、身を置いて心地よさを感じるのもそのせいかと思ってしまう。
人が集まるところは、おのずとそんな環境が整ってのことなのだろう。
それを具象化したのが風水や四神相応の考え方なら、条件が整えば都市として成り立つのも
尤もなことかも知れない。


そんな訳で妄想逞しく遠野という土地が持つ意味合いなどを考えてみた・・・・・・・・



かな~りマニアックなエントリとなってしまいました。
此処までお付き合いくださった方には拍手ー致します。
ご苦労さまでした!


・・・・・がっ。
これだけでもまだ終わらないという。

「遠野七観音」がある場所と相まって、「不思議な星形」ともいえる「五芒星」が浮かび
上がって来るという話がある。

「星形」が意味するもの。
遠野という土地が持つ特質・・・・「レイライン」と「四神相応」だけでは終わらないようだ。

この、「遠野の不思議」について、真摯な思いを込めて書かれているのが『こちら』
より深い遠野が持つ地の意味を考えることができます。

by tamachi69 | 2007-07-23 06:24 | これぞ遠野
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